私(鬱太郎)の生い立ち

私のうつ病の発症ルーツ。

それは、生い立ちと深い関係があるようです。

これは、私だけでなく、うつ病を発症した方なら誰でもそこに根源があるといいます。

それは、心の傷(トラウマ)というもの。

とはいえ、トラウマは何度も繰り返され、限界がきてポッキリと木が折れた

という感覚ではないでしょうか?

子供の頃に背負ったトラウマが少ないと、

大人になっても大きなトラウマでも耐えられますが、

大きなトラウマを背負っているほど

早い時期から心が乱れやすいとも考えられます。

うつ病あるいは精神疾患として有名な偉人として、夏目漱石、芥川龍之介、太宰治といった文学者も数多くいますが、彼らの生い立ちもまた、幼少期から苦難の道のりでした。

だいたい、うつ病を発症する時期は、青年期から成人期にかけてが多いようです。

私の友人達をみても、18~30歳あたりで発症したケースが多いように感じられます。「

この時期は、大学受験、恋愛、就職、友人関係などの失敗などのイベントも多く重なっているのもありますが、だんだんと生きづらさを抱えてくる人も多いようです。

その原因の一つとして、学生のときまではただ勉強でいい点さえ取れればすんなりと生きていけたのに、社会人になるにつれて、勉強よりもコミュニケーション力が重要になってくることが挙げられます。

その他にも近年は、発達障害的な症状による能力の凹凸の激しさが原因であったり、HSP(ハイパー・センシティブ・パーソン)のように人見知りであったり、と様々な要因もでてきています。

従来的なうつ病は、その生きづらさ的な辛さではなく、PTSD的なうつ病といわれています。

基本、うつ病になる人の多くは、HSPあるいは発達障害的な症状をもっているそうなので、そういった特性を持つ人は二次的にうつ病を発症する可能性があるとも予測できるのではないかと思っています。

私自身も、HSPあるいは発達障害的な特性は子供の頃から持ち合わせていました。

家庭内はぼろぼろ。

異常な家庭だった。

厳格にしつけるのが一番と思っている父親。

私を理解しない母親(父親の顔色ばかりうかがう)。

私に味方はいませんでした。

褒められることもなく、見返りのない生活の日々。

次第に私は、いったい何のために生きているんだろうとふと感じるようになりました。

食事時は、夫婦間の会話もほとんどなくお通夜状態。

早く食事を終わらせて、食卓に一緒にいたくない一心でした。

だから、ご飯も食べる量が少なく、子供時代はとても痩せ型で、そのせいか、学校でもいじめの対象になってしまいました。家庭でも学校でもがんじがらめで、せめて勉強で見返してやろうと必死でした。

その成果もあってか、中学校からは優等生となり、先生から褒められることも。

いじめもほとんどなくなりました。

それからというもの、味を占め

「勉強さえすれば、世の中上手く渡っていける!」

と思うようになり勉強一筋に。

しかし、両親からはさっぱり褒めてはもらえませんでしたが・・。

ただ、無機質な生き方ながらも、交友関係、恋愛もないまま大学へと進みます。

テストの点数を取るのだけが生きがいで、趣味もありませんでしたが、一流企業に就職できれば人生約束されたものと思っていました・・。

が、しかし大きな壁が立ちふさがっていきます。

研究室に入ると、学生が共同生活のような感じになり、それがイヤでたまりませんでした。

また、研究するにも人に教えてもらうのが恥ずかしいと感じ、プライドが高くて1人で地道にする作業。

そして、研究室のプレゼンテーションやディスカッションは本当に憂鬱でたまりませんでした。

発表のときは、頭が真っ白になり、しどろもどろで言葉がでない・・。

本当に恥ずかしく、プレゼンがとても嫌いでした。

こういった原因も、家庭内でコミュニケーションが希薄であったことが原因ではないかと思っています。しかし、なんとか卒業し「ホッ」としたのも束の間。

会社に入ってからも、プレゼン、ディスカッションの研修は当たり前で、同期との間にも大きな能力のギャップを感じていました。

皆はリア充の学生生活を送っていて、のびのびと生きていられるのになぜ、私だけこんなに惨めな人生を歩んでいたんだと・・。

発達障害の影響か、出来る事と出来ないことの差が大きく、出来ないことがあるとかなり凹み自信を喪失していくループにはまっていきます。

次第に、私のプライドもずたずたになっていき、生きていく自信もなくなっていったのでした。。

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